IMG_6150.jpeg

​玉林寺について

宗派

曹洞宗

 

御開山

覚宗是頓禅師

 

由緒と沿革

当寺は山号を「玖水山」と号し慶長年間玉林寺の開祖である覚宗是頓禅師は東田川郡泉村(現鶴岡市羽黒町)玉川の国見山玉川寺の僧侶い住職を辞し羽黒山の流沢寺に閑居して深山の自然を愛し風月を友として禅味を尊心修行して居たが慶長五年【1600年】羽黒の霊山を下って二本木村壱本木に玖水庵を結び御本尊の放光王地蔵菩薩を礼拝し衆生の済度を托して居た。是が玉林寺剣立の始めである。同年八月本堂を建てて御本尊の放光王地蔵菩薩を安置したのが本堂開闢のはじまりと言います。

その後地楯堰の竣工成り村人は開田事業のこともあり、又それよりも度々襲う洪水の恐怖から逃れようと現在地に移住したのが慶長19(1614)年のことである。玉林寺もそれから3年後の元和3年(1617)吉川敷の荒地を見立てて現在地に移転したのである。

御本尊は自他信仰愈々深く霊験又る殊更あらたかで山門の前を乗馬のまま通行することが許されなかった。無理に通れば馬は何かにおびえて棒立となり必ず落馬し皆これ恐れたという。又婦女子の祈願する安産子育て授乳等には霊験あらたかであると伝えられている。

本尊は天下に名声を馳せた運慶の作といわれ現在の須弥壇に座す仏像の体内に納められ体内仏又秘仏として礼拝されている。

元和三年(1617年)現在地に移転して以来、古川敷の荒地を伐りひろき寺院境内も四反五畝の広さに達し壇徒の数も次第に増加してきた。

寛永三年(1626年)の初秋八月八日開祖覚宗是頓大和尚は歳八十余にて示寂いたした、玉林寺開山、又 壱本木よりの移転など村人と共に活きてきた衆生済渡の生涯であった

寛政ニ(1790)年三月 玉林寺八世笑峰砎門和尚代 壇徒一同の協識により玉林寺境外の荒地追々開壁し藪木の根を伐り払いあるいは古川敷の沼地を埋め立て円識をつくし用い招き檀家に小作させ、この小作米をもって護寺の費用としてきたのである。

この開壁した田の面積 五反七畝一歩という。その後慶応ニ(1866)年十一月堂宇大火焼失、続いて慶応三(1867年)十二月重なる火災にてことごとく灰塵に帰してしまったが玉林寺二十三世話山祖嶽和尚の代、本堂を建立したのである。